『繰り返す夏』
「で、泣きついたってワケ?」
「る、るへーっ。泣いてねーッつーの」
たまに通る車のタイヤ音。
吹き込む風が、薄いレースのカーテンを揺らす。
窓の外には憎らしいほどに照りつける太陽。
ずびび、とコテツは鼻をすすると、思いっきり背を丸めて膝を抱える。
「成長してないの」
「るせーっ」
テーブルの上に積まれたワークブックを手繰り寄せると、イズモはくすりと笑った。
「あの英語の宿題なんて、『絶対君たちには無理ですから』って言うんだぜ。
頭っから無理なもん、出来ッかってーの」
すねた三白眼が、イズモを見て、またぷいっと窓の外を向く。
「オレ、終わったけど」
「うっそ」
「だって書き写すだけだろう? 量は多かったけど、ノルマ決めて、暇な時につぶしてったら終わってたけど」
「~~~~~~~~ッ」
声にならない声を出して、今度はいきなり反り返ってラグの上にひっくり返るコテツ。
予想通りの行動に、必死で笑いを堪えるイズモ。
「だったら頑張んないとさ。あっという間だよ」
「う~~」
「手伝ってやるよ。試験で泣くのは見え見えだけどさ」
ぴょこん。
起き上がると、にまあっ、と猫のように目を細めて。
「わかりやすい奴」
「やーっぱ、イズモだよな。イズモはぜってーに断んねーもんなー。優しいよなー」
「高いけどな」
「ひ」
「さ、オレ数学するから。コテッちゃんは写すだけの英語して」
「オレ数学」
「いいから英語して。コテッちゃん赤点すれすれなんだから」
「う……」
「どうするのさ。夏休み明日で終わりだよ」
「どうするって~~~」
半べそをかいて鼻をすするコテツに、イズモはどう声を掛けていいのか判らない。
とりあえず自転車を玄関の脇にとめると、コテツの後に続く。
ちらかった子供部屋のランドセルの中は、ほとんど時が止まっている。
「夏休みワーク。二ページしかしてないの?」
「う」
「日記は? ……四日間だけ?」
「う~」
「工作は……、一緒に作ったよね?」
「お、おう」
イズモは背負ったリュックの中から、きちんと完成したワークや日記帳を取り出した。
「日記はさ、夏休みボクと遊んだ事書いてあるから。あとお天気も。それを写して。
ボクがワークするから」
ずびーっ、と鼻をかむと、コテツは大きく頷いた。
跳ね回る髪が揺れて、真っ黒な日焼けした顔に、にかあっと白い歯が光った。
「来年はちゃんとさ、宿題一緒にしようね」
「うん」
「コテッちゃんすぐに遊びに行っちゃうからさ」
「イズモは、いつの間に宿題してんだよー」
「いつの間にって……」
イズモは、コテツの母親が差し入れた麦茶を、ごくり、と飲んだ。
「いつの間に宿題してたって……。その愚問。何年聞いてると思ってんの?」
「う」
「コテッちゃんがテレビ見たり、ぐうぐう寝てたり、マンガ読んでるその時間にしてるんだよ」
「……あい」
「ったく。来年はもう助けないからね」
がりがりがりと、文句を言われながらもシャーペンを動かしてた手が、止まる。
「そっかあ。来年はオレ達高校生なのかあ……」
「……何しんみりしてんのさ」
「そっかあ。うん。オレ、もっとしっかりしねーとなあ……」
ぱふ。
イズモの手が伸びて、コテツの跳ね回る髪を、くしゃりと撫でた。
「一緒の高校に行きたかったら、もっと勉強しないとさ」
「お、おめーがレベル下げればいいんじゃん」
「やだ」
「ケチ」
くしゃくしゃ。
猫のように撫でると、睨みつける三白眼。
「なんだかんだ言っても、コテッちゃんは『やれば出来る子』なんだから」
「あんだよ。それ」
「だってさ、数学絶対クラス五位には入るじゃん」
にかあっ。
つり目が糸のように細くなる。
「一緒の高校に、行こうよ」
糸目が少し丸くなる。
ゆっくり節くれだった指先が伸びて、頭の上のイズモの手を掴んで、下ろす。
「……行きてえな。おめーと一緒の高校」
「だろ? だったら、さ。頑張ろうよ。一緒にさ」
小学生の頃から何度も何度も使った、夏休みの呪文。
それは笑えるくらい簡単に、コテツに効いてくれる。
「まだ一週間あるんだからさ」
「だな。ガキン頃みてーに前日じゃねーもんな」
「泊り込み合宿、する?」
「するする」
「じゃあ明日から。今日はとりあえず単純なのをやっちゃおう」
「おう。あ~、なんかおめーがいてくれっと、やる気出るのな~」
くすり、とイズモは笑う。
まるっきり去年のトレースなのに、本人は気付いてないんだろうか、と思う。
目の前のコテツは立て膝猫背で、必死に英文を写している。
「来年の夏はどうなってるのかな」
小さくイズモは呟くと、一度見た事のある数学の問題に目を通す。
レースのカーテンが揺れる。
遠くでセミの声。
汗をかいたグラスの中の氷が、からり、と音を立てた。
16:36 2009/08/24
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