7日、3時に拍手ありがとうございます。
自分が物語の中で使ったり、ブログで書いたりした表現。
「立体の形は、見る場所が少しでも違えば、異なるものに見える」
円錐を真横から見れば二等辺三角形。
真上から見れば、円に見える。
それは同じ物体で、どちらの言い分も正解だ。
人という複雑怪奇な形をした立体を、どの方向からどうやって見て、「これは△△だ」という同じ意見を見出せるんだろう。
それは、すべての座標を同じにして、同じ光源で、同じ気象条件で眺めなくては無理なんじゃないかと思う。
人と人が理解し合うのは、完璧に分かり合えるのは無理なんだ、という前提を飲み込んでいないと無理なんだろう、と思う。
我が子は、どんなに複雑な形をしているんだろう。
私が見ている我が子は、彼女のほんの一方向からの、ごくごく一部の限られた情報なのだ。
親だからすべてを理解出来る。出来ているなんて、幻想だ。
明日はどうなるんだろうか。
私の見えない部分の彼女は、どんな人間なんだろうか。
すべては明日になってからでないと、判らない。
ああ。
消えたい。
リセットして、タイトルからやり直したい。
それが出来ないから人生なんだけど。
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