制限無しで寝てると起床11時。
朝一度起きると、二度寝で起床11時。
なんなんだ一体。_| ̄|○
夜何時に寝ても起床時間は変わりません。
朝日を浴びると、体内時計がリセットされて正常化するとか言いますが。
二度寝の場所は日が差し込むソファーの上だったりします。
思いっきり太陽を浴びてます。^^;
もう最近は諦めてますけどね。^^;
無理して午前中起きてて、夕方から頭痛になるよりマシかなあと。
ダメ人間だあ。_| ̄|○
6日1時、19時×2、拍手ありがとうございます。
コメントしっかり頂戴しました。m(__)m
どうぞお暇な時は愚痴りに来てください。
タイトルは、私が「見ないと一生後悔するアニメ」と位置付けている
「デジモンアドベンチャー」
の続編、「デジモンアドベンチャー02」の中の名セリフ。
デジアド02は、無印があまりの神アニメだったのでちょこっと不満が残る作品なのだけど、名作は名作だと思う。
自分のした行為のあまりの罪の重さに、デジタルワールドを彷徨う賢。
彼を護るために身を呈して散った非力なデジモン、ワームモン。
賢の旅の果てに、手にした卵から姿を変えて蘇ったワームモンとの再会のシーンに、このセリフが使われている。
「うまれてくれて、ありがとう」
あれから10年。
このセリフはドラマや書籍、キャッチコピーにも使われているけれど。
とても素敵なセリフだと思う。
「うまれてくれて、ありがとう」
ああああ。DVD見たくなった。
なんだか異常に眠いのですよ。
寝付きが悪いせいでしょうか。
体内時計もきっかり4時間ずれてます。
頭も痛いので、少しウトウトします。
年末に、リア友からメールが来た。
非常に弱りきったメールだ。
年末年始だというのに、旦那が帰宅しないのだそうだ。
ここの旦那、そりゃあもう、異常とも思える距離を移動し、日帰りや野宿をしつつ温泉巡りをするのを趣味としている。
年末年始もたぶん、その趣味に費やしたのだろう。
理由は彼女も書いてきていたが、夫婦仲の悪化というか。
彼はかなり前から離婚をしたいといい、彼女がそれに反論しているという暮らしをしてきているから、それなのだけれど。
なんだかなあ。
どうしてそこまで、自分の趣味に没頭し続ける旦那を野放しにしているのかなあと。
でもって、なんでそんな男と一緒にいたいんだろうかと思う。
旦那のブログを見ていると、呆れて苦笑いしてしまう。
本当に世間様は、よほど寛容な奥様を持っているんだろうと誤解してるかもしれない。
彼女が別れたくないと言うのは、彼女の最後のプライドなのかもしれない。
けれど子どもも旦那に懐いているというか。^^;
なんでなんだろうね。
ますますそんなギスギスした夫婦なのに、なんで一緒にいるんだろうかと疑問です。
そしてそんな彼女のメールへの返事が書けない自分がいます。
というか、直接ご飯でも食べに行って話す方がよさげだと思われ。
実家に久しぶりに帰ったら、今年69歳になる母が、まだまだ現役バリバリで仕事をしているのでビビリました。
昔から、私のことより仕事を取るような親でしたから。^^;
仕事を取ったら、死んでしまいそうです。
その傍ら、趣味の大正琴にも激ハマりで。
月一で演奏会に出かけています。
合間合間の休みには友達とランチとか。
とにかく私とは真逆のアクティブな婆さんです。
で、父はそんな母に怒り沸騰なのだそうです。
父は勝手に、老後の生活設計を立てていたんです。
夫婦で日本中あちこちを、マイカーで巡るという夢。
それが、母の仕事と趣味のせいでこなせないと。^^;
母は母の生き方があるのに、どうしてまた。^^;
老後は夫婦旅行ってのはいいけど、それこそ野宿、ラブホ泊で、名物料理すら口にしない、ただ「そこへ行く」だけの旅行だったりなので、私なら死んでも御免です。
そういや昔からこの人の家族旅行はそんなのばっかりだった。
車で野宿ばかり。
いい思い出皆無です。
約半世紀も夫婦をしてきて、なんでこの年齢になってこれからの余生の過ごし方のギャップで、イラッとしてるんでしょう。
もっと若いうちから話し合えばいいものを。
っていうか、親父濡れ落ち葉もいいとこだよ。独りで行けばいいじゃん。
と、独り旅の好きな私はそう思うわけで。
今、私と旦那は夫婦というよりもルームシェアをしている連れのような感覚ですけれど。
お互いに干渉しない生活は気楽でいいです。
でも、旦那はどう思ってるんだろう?
夫婦って難しいですね。
元々赤の他人だしね。
でも正直、自分は人の相談事にのれるだけの精神力がないので、友達の件はマジで困ってます。
どうにかしてくれ。_| ̄|○
4日12時に拍手、ありがとうございます。
年賀状を見て思ったんだけれど、旦那のは県内。それも市内とかがメチャクチャ多くて。
私のは北は仙台から南は大分まで。その上県内もあちこちに分散してる。
私の友達は近所にはいないわけで。
近所の奥さんと友達になろうとも思わない。
ある人に話した出来事が、一週間もしないうちにあたり一面に広がっていた事があって、怖くなったのだ。
誰とも腹を割って話なんて出来やしない。
だから顔も見えない、会うことも出来そうにないネットの人の方に安心感を覚えるのだけれど。
これまたアクティブでジャンキーだった十年前近くに比べたらがくっと付き合いが減った。
減ったというよりも、私自身がますます人付合いが出来なくなってきているんだろうと思う。
年賀状、本当に二年だけ一緒に仕事した後輩から未だに毎年来てたりする。
本当に年賀状だけの付き合いだ。
それでも、何かの縁で繋がっているんだろう。
古い賀状を整理してたら、自分から切った縁の多さに苦笑いした。
メールでもそうだろう。
趣味で繋がっていた人とは、趣味が変われば言語が変わるように、コミュニケーション出来なくなっていく。
そうしてなんとなく疎遠になってしまう。
近所の人にもこころを開けない私が、最近はネットの上でもこころを開けないようになって来た。
確固たる自信も、こちらから飛び込んでいく勇気も、何もない。
来年はどうなるんだろう。
今年一年、特に何も変化は無さそうだ。
細い細い縁の糸を、大事に大事に握り締めていそうな気がする。
その先がぷつりと切られていたとしても。
正月疲れなのか。
なんだか、物悲しいです。
おやすみなさい。